大人を実感するきっかけ

大人を実感するきっかけ

成人して大人の仲間入りを果たしたからといって、明日から何かが変わるわけじゃない。成人した証明書が発行されるわけじゃないし、昨日までできなかったことが急にできるようにるわけでもありません。自分が成人したんだということを実感するきっかけって、どんなときでしょう?

一番多く挙げられているのは、初任給をもらったときです。初めてのお給料で、自分が社会人になったことを自覚する人がたくさんいます。同じ稼ぐでも、やっぱりバイトと社会人になってからの仕事とでは、ワケが違いますもんね。

責任のある仕事を任せられたり、上の立場についたりしたときも、大人として身が引き締まる思いになるでしょう。自分がしっかりしなければ仕事が進まず、後輩にも不安を与えてしまう。そうなったとき、自分では気づかなくても大人の顔つきになっているような気がします。

今まで甘えっぱなしで当たり前のように思っていた、親の存在。それがどんなにありがたいものかわかったときも、こどもから大人になった瞬間といえるかもしれません。ありがたい存在だとわかりつつも、甘えるばかりだったりワガママを言ってみたり…やっぱり自分はまだこどもだと痛感することもありますが(^^;

一人暮らしをすれば、炊事・洗濯・料理・掃除など、今まで親がやってきてくれたことの全てを自分ひとりでやらなくちゃいけなくなります。自分がやらなければ、他に誰もやってくれませんからね。それも親のありがたみを感じるのと同時に、大人への第一歩につながるといえると思います。

結婚や出産も、大人になったと感じる大きなきっかけ。「結婚しても名字が変わっただけ」とか「こどもができても自分もこどもだ」という人もたくさんいます。でも旦那・こども・家庭など、守るべき存在・支えるべき存在がある人は、一回りも二回りも大きく見えます。

今までは自分のことだけを考えていた、何よりも自分優先だった。それが自分のことよりも他人のことを先に考えるようになったときも、大人になったと感じるのではないでしょうか。

たとえば今までは自分が親に「もらう」立場で何でも「もらいたい」、あるいは「もらって当たり前」だったのが、親に対して自分が「あげたい」と思うようになることはとても大きな成長ではないかと思います。

カレイか?カレーか?それとも華麗か?

私にはサッパリわかりません。お魚のカレイは焼いても揚げても美味しいですが、私は煮つけが一番好きです。だけど、どうしてもわかりません。カレイはどんな風にでも調理できますが、果たして最中になっても美味しいと言えるのでしょうか。

肉厚のカレイが手に入ると、この上ない喜びを感じます。見るからに食べごたえ満点の立派な姿には、惚れ惚れしてしまいます。でも、ハッキリとは答えられません。たとえその最中にずっしりとした重みがあり、持っただけで餡子が詰まっていることがわかっても、果たして大きな喜びを感じることができるのか。お魚のカレイの味がすることを考えると…。

私がカレイの煮つけを食べた後、お皿に残っているのは真ん中の骨だけです。細かい骨などはよく噛んで全部食べてしまうので、私にとってカレイはほとんど余す部分がないお魚です。

もちろん、和菓子の最中にも余す部分なんてどこにもありません。最中の皮を残して中の餡子を食べるとか、逆に香ばしい皮だけを食べて中の餡子は残すとか、そんな人は滅多にいないでしょう。でも、お魚のカレイの味がする最中に関してはどうでしょう。果たして、残さずに完食できると自信を持って言えるでしょうか。

かれい最中があると言います。私はてっきりお魚のカレイだと思い込んでいたのですが、どうしてもカレイと最中を結びつけることができません。

そうか、もしかしたらカレーライスのカレーかもしれない。かれい最中じゃなく、カレー最中だという可能性もある。カレーのようにスパイシーな最中なら…?やっぱり、それも美味しいのかどうか定かじゃありません。

カレイでもなくカレーでもなく、華麗最中?華麗な最中ってどんな最中なのか、やっぱり想像つきません。それにしてもこうして挙げてみると、いろんな「かれい」があるものですね。

よく調べてみると、かれい最中のかれいは間違いなくお魚のカレイを意味するものでした。間違っていたのは、かれい最中がカレイ味の最中だと思っていたこと。かれい最中と呼ばれる最中を見たとき、思わず頬を緩ませてしまいました。その正体は、カレイの形をした最中だったのです。

かれいの形に似せたかれい最中は、大分県速見町日出町の銘菓の一つ。かれい最中のモデルとなっている高級魚城下かれいは、日出町の特産なんですね。